グラフィックデザイン独学の限界 とメンターの必要性 について書きます。
(でも、独学だって大事ですよ、念のため)
グラフィックデザイン独学の限界
グラフィックデザインを独学で学ぼうとするときに、
いちばん限界が出てくるのは、「作品のジャッジ」かな? と思います。
特に、現役のデザイナーと未経験の人の作品で、
最も差が顕著なのは「文字の組版」。
ビジュアルだけでなく「文字」でも
「見せよう」「読ませよう」としなくてはならないのですが、
未経験のときに「文字の組版」の細部まで気をまわすのは、
かなり大変なことだと思うんです。
「文字の組版」のどんなところが?
というこのに関しては、
また別の記事で書きたいと思っています。
それで、本題です。
知識を身につけるようなことは、本を読んだり、
今のご時勢なら、ググればいくらでも情報はゲットできるかも知れません。
でも、作品を作っているうちに、限界は訪れます。
ポートフォリオにまとめて転職活動をするための作品は、
仕事を得るためのものなので、
未経験といえどもプロレベルまでクオリティを上げなければなりません。
それで、その「プロレベル」っていうのが、
何にどのくらいか?
というところをジャッジすることが、
一人ではとても難しいのではないかと思うのです。
そもそも、限界が訪れていることにさえ
気づくことができなかったりします。
自分のことを思い返してみれば、
「かなりイイ線いってる」と思っていたりしました。
一人でダメ出しって、
難しいんですね。
「ジャッジ」って、
プロのデザイナーにとっても難しい話なんです、実は。
わたしは、かなり今でも
たった一人でジャッジをするのはコワイです。
(それで勤め人をやっているという面もあります。上司や同僚に「ちょっと見て!」というのができますからね。)
アートディレクターとしてやっていかれるような人は、この「ジャッジ力」が優れているのではないかと思います。
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話を元に戻しますね。
現役のデザイナーに見てもらって、
アドバイスをもらうようになってから、
自分の作品が、プロレベルからみると、
かなりレベルが低く、ヤバかったことに
次第に気づくようになりました。
私は、幸いにも、2年近く、同じデザイナーに
継続的に見てもらう機会を得ました。
週に一度、通って、
デザインのことも色々教わりながら、
授業料としてお金は払っていました。
作品に対してジャッジとアドバイス、
OK、ダメ出しなど、色々としてもらえました。
このデザイナーの方が、私にとってのメンターでした。
最初のうちは、不愉快でした。
先生のことは好きでしたが、
何が良くないのかわからないのに
「良い」と言ってもらえないことが
不愉快だったのです。
何がおかしいのかさっぱりわからないのに、
毎回、あっちを直せばこっちがどうとか、
ダメ出しを繰り返えされては修正していました。
今思えば良かったと思うのは、
内心不愉快で反抗的な気持ちを持ってはいたものの、
一応、形だけは素直に言う通りに修正していたことです。
何故、不愉快に感じながらも
素直に言うこときいていたかというと、
「この人みたいになりたい」って
思っていたからです。
何度もダメ出しとアドバイスと
修正のようなことを繰り返していると…
何が良くて何が悪いかまではわからなくても、まず、
「これをやったら先生がこう言うはず!」
「先生ならこれはこうするだろう」
という感じになっていきました。
就職してからも、最初の2〜3年くらいは、
何か仕事を新しく頼まれて、どうしようかと戸惑うと、心の中で
「先生ならどうするだろうか? こうするに違いない」
などと思いながらデザインをやっておりました。
わたしは、メンターと出会わなかったら、
自分が34歳というイイ歳で、
未経験からデザイナーになれたとは思えません。
・一年の実務経験をしたくらいのスキル
・そのスキルを証明できる作品をつくる
そうすればデザイナーになれるということを、
他の記事で書きましたが、このことも、
メンターである先生から教わったことです。
この先生と出会ったのは、
DTPデザインスクールでした。
「スクールを出ただけではデザイナーになれない」なんて、
ときどき耳にしますが、実はわたしもそう思います。
わたしは、DTPデザインスクールで、
「この先生に出会えたから」
デザイナーになることができたのだと思っています。
その先生はDTPデザインスクールでデザインを教えていました。
3ヶ月くらいでスクールがひと通り終わったとき、
「これではとてもデザイナーになれる気がしない」
って、思いました。
誰かに何かをデザインしてと頼まれても、
手も足も出せない感じ…。
この気持ちを先生に話したのです。
それで、間もなく、個人的に教えてもらえることになりました。
グラフィックデザイン独学の限界と
メンターの必要性についての話は以上です。
これは、とても独特な、あまりない、
私自身のラッキーな個人的な経験かも知れません。
でも、メンターに出会えるのは、
こういう経験ばかりでもないなと、
今は思っています。
わたしはこのブログで、未経験の方には美大など、
学校にいくことをすすめるのは、その理由の一番は、
メンターを見つけてほしいからです。
もし、美大のような、一定の期間、
同じ教授に習えたりするならば、
その人がメンターといってもいいでしょう。
別に、「あなたがメンターです」なんて言う必要はないです。
メンターって、近頃よく使われる言葉ですから、
ちょっとこのブログでも使ってみましたが、
要するに「親身になって教えてくれる先生」のことなんです。
それから、最初の職場の上司や先輩も
メンターだったな、と思っています。
メンターは一人でなくてもいいのです。
だから、知識もスキルも作品もイマイチでも、
どんどん行動に移してたくさん面接して、
ガッツで就職してしまって、
最初の職場の上司をメンターにしてしまうというのは
アリだなと、思ったりします。
特に若い人なら。
大好きでたまらない憧れのデザイナーのところへ行って、
頼み込んで雇ってもらったという話をきいたことがあります。
もちろんこの場合はこの人がメンターとなるでしょう。
こういうケースは、本当に心の底から
その人の作品が好きだ、大ファンだというのが絶対条件かと思われますが…。
それでも独学も必要
最後に、ちょっと矛盾しているような見出しを
書きましたが、
誰か他人に何でもかんでもただ教えてもらえばいいというのは
ダメなんです。
それで、「独学も必要」と書いてみましたが、
「(予習)復習が必要」
「アウトプットが必要」
ということです。
そしてこれは学校へ行ったり、
先生についたりしている期間でも、
「ひとりでやること」ですね。
予習はしなくてもいいかも知れませんが、
何かを習ったら、
ひとりになって、家でもういちど復習するのは大事です。
それから、特にデザイナーの場合は、
アウトプットが大事です。
先生に知識をインプットしてもらったら、
作品を作ってアウトプットしていくという、
手を動かすことが大事です。
ここもひとりになってやる部分です。
だから、独学というとちょっと語弊がありますが、
独学をしつつ、メンターにも習うというのが
最も良いことだと思います。
「啐啄同時(そったくどうじ)」という、
言葉がありますが、
これは、鶏のひなが卵からかえるときに、
卵の中で成長して内側から卵の殻をつついて
外へ出ようとしているときに、
外側から親鳥がつついてやると、
卵の殻がやぶれて、ヒナが外に出てくることができる
という、禅のたとえ話です。
ヒナががんばっているときに、
親鳥がつつくのがいいのです。
デザイナーになろうと頑張っている自分ががヒナで、
ちょうどそこへタイミング良く手を貸してくれるのが
親鳥であるメンターです。
だから、独学で頑張っているときこそ、
ちょっと誰かに教わったりすると、
急に霧が晴れたように成長できたりするので、
独学だけでなく、メンターに会うと早いですよ、
ということが言いたかったわけです。